一般的に大学新卒者が就職して最初に管理職になるのは、早い人で7~8年後、平均すると10年くらいが目安。そして課長クラスになる人の平均年齢は40歳くらいであり、およそ15~20年程度勤めて昇進する人が多いようです。新卒入社から30代にかけて3段階の昇格を果たした鈴木さんに、これまでの歩みを振り返っていただきました。

社員プロフィール

鈴木 真(すずき しん)
株式会社産案
新規事業開発部 エキスパート営業

2006年4月新卒入社。配属先グループ会社の求人広告営業を経て2007年12月、産案横浜支社の活性化のために若手が必要だと、抜擢され異動。横浜市との共同によるフリーペーパーのコマ広告などで、営業として実績を積み、20代でチーフ職~リーダー職、30代でMgrと順調に昇格。現在、新規事業開発部のエキスパート営業として精力的に活動中。

■気になる趣味は・・・

週末は、ムエタイでエクササイズしています。

まっすぐ一直線ではなく、しょっちゅう紆余曲折。

紆余曲折…ですか、ではご入社から現在のご活躍にたどり着く道のりで、第一コーナーを曲がるところまでをお聞かせください。

入社のっけから曲がっちゃったんで(笑)第二コーナーの手前までお話させてください。就活時に広告営業を志したのは、JR東海のTVCM「京都シリーズ」を見たのをきっかけに広告に興味を持ち、商品や企業のプロモーションをやってみたくなったから。それで産案グループに入社しました。

ところが配属先は求人広告部門のグループ別会社。とはいえ初めての社会人でしたから様々な広告のイロハを学ばせてもらえる機会と捉え、前向きに取り組みました。そして1年目の新規テレアポ(電話による営業活動)で、会社の近所に自社ビルを構えていた半導体商社に訪問のお時間をいただけて。そのお客様は求人情報誌の出版元であるリクルートと直接、新卒向けメディアのお取引中で、会社ロゴの発注を依頼するなど、かなり懇意にされていて、新人の私が熱意以外でかなうものはありませんでした。しかし物は試しといったところだったのでしょうか、何度かアプローチをするうちに、最低限のミニマムプランのお仕事をいただくことができました。その後も2~3週に1回、こまめに足を運び、マーケット情報の共有や進捗伺いを繰り返す中、年間で500万円のお仕事をいただけるようになれたのです。

愚直に営業の基本行動を繰り返したからこその、関係性構築でしたね。

ええ、その通りだと思います。あとは求人ターゲットと自分が近い年代思考だったことも功を奏しま
した。当時、先方商材である半導体は、まだまだ学生にとって身近ではない商品でした。製品として
完成されたものの内部に組み込まれているので、手に取ってみることもありませんし。それをどのよ
うに魅せるか。制作部門と打ち合わせしてハート」というコンセプトで半導体を様々な機器の心臓
に見立てて、世の中の製品の中心であること。そしてハート=熱意のある会社であることを伝えまし
た。
それが大好評で応募効果にもつながったんですよ。

「次年度以降も鈴木さんにお願いしたい。予算も増やすので、それに見合った提案をしてほしい。」
というお声がけとともに、先方の社内飲みの席でも鈴木の名を出してくれて。お客様の印象に残った
営業として受け止めていただけたことを、とてもうれしく思いました。この体験が今も変えることの
ない、顧客接点に重きを置く私の営業スタンスの基盤になったのです。

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「エ~シ~」ばかりが、至るところにあふれ出した。

その後、産案の横浜支社へ会社を移る第二コーナー突入ですね。活動エリアや広告商材も変化して、ご苦労されたんでしょうか?

異動後はまず、新聞社が横浜市と共同で発行している暮らしのガイドという年刊行政ガイドブックをメインに、地域限定のポスティング型フリーペーパーや、オフィス配布のフリーペーパーなどの営業を中心に行いました。求人広告からプロモーション広告に替わっても、誰に何をどう伝えるかという広告の基本は変わりませんし、女性・主婦向け、シニア向け、富裕層向けなどの読者属性でターゲティングできるため、商材の違和感はありませんでしたね。何といっても待望のセールスプロモーション広告ですから、不安よりもワクワク感のほうが勝ってましたし。

どのような企業様に営業アプローチをしたのでしょう?

新聞社の渉外担当と相談しながら、地域との親和性が高い医療系のお客様に特化して営業活動を行いました。その方法はいたってシンプルでテレアポ。訪問営業だと絶対に病院の院長先生にはお会いできませんから。営業時間も限られていて午前の診療前、朝9時からの診療が多いので8時50分からの10分だけとか、午前の診療が終わった後、午後の診療が始まる10分前、午後の診療が終わった後のチャンスは1日4回だけ。その間に電話を掛けたり、さっと資料だけ置いて帰ったりしていました。こうした営業スタイルは、今まで産案で実施している人は少なく、求人広告営業時代の新規顧客発掘のためのローラー作戦が活かせましたね。そうこうして、初受注は35万円。当時はメーカー系列だった伝統ある企業病院でした。

すんなりと順調に進んでいるように見えますが。

異動した翌年の2008年9月、いわゆるリーマンショックに見舞われました。その辺りからTVに何度も連続して流れるCMは、AC広告と呼ばれる公共広告ばかり。大型の不景気になると消費の鈍化とともに商業広告は、どんどん茶の間から消えていく。つまり不況時に企業が削減を検討・選択する経費の一つが広告費なのです。そして、そのあおりは広告業界のみならず、企業規模の大小を問わず希望退職を募ったり、人員整理を伴う経営維持や再建を図る企業が多発したんですよ。

横浜から本社、湘南、そして横浜へ。

2009年を底に4年ほど続いた世界的な不況が第三コーナー、大きすぎる曲がり角でしたね。

はい、産案は当時でも50年以上の歴史を誇り、資産が安定しているため、経営危機に陥るようなことはありませんでしたが、結局、横浜支社を閉所することになり、当時の神田本社へ戻ることになりました。その後、横浜と商圏や商材がほぼ同じの湘南支社へ異動。湘南と横浜両エリアにて、地道にコツコツ、地域に強いフリーペーパーの拡販に努めました。まだまだ不況下にはありましたが、業績貢献が認められ入社5年でチーフへ昇格。そして翌年の2013年4月には新聞社から横浜エリア強化の要望をいただき、会社は再度横浜の関内にサテライトオフィス設置を決断したのですが、その責任者として私にお声がかかったのです。

期待を込めての2度目の抜擢ですね。どんな方々と一緒に立ち上げスタートされたのでしょうか?

拠点といっても不況が明ける前なので、本当にこじんまりとした所帯でした。私のほかに事務スタッフと営業未経験の委託営業の方との3名体制。オフィスもデスク3つでいっぱいになるほどの規模感。それでも初めて任された拠点だったので、モチベーションは結構高かったと記憶しています。

委託営業さんは地元フリーペーパーの読者の一人だったので、商材についてはよくご存じ。ですから私は自分自身の営業活動を行う中、売る側としてのノウハウを座学や同行営業を通じて教えていきました。でも半年で辞めちゃって。欠員補充で22歳の若手営業を採用で迎えたのですが、その彼も結局、短期間で退職してしまいました。お二人とも私と10歳近く年が離れていたので、なかなか悩みごとなども伝えづらかったのかもしれません。自分の力が足らなかったことを反省しています。それでも事務さんが、自らステイセールス職(内勤営業)との兼務を買って出てくれて。とても助かりました。

どうにかこうにか拠点を軌道に乗せ、サテライトオフィス開所から1年後には、歩いてすぐの場所にある、4~5倍広いオフィスへ移転して第四コーナーを脱出(笑)デスク5つに打合せ用のスペースのほか、設備も気持ちも充実させて仕事に励み、翌年29歳でリーダー職になることができました。

2018年には湘南支社と合併してパワーアップ。日本大通りに新オフィスを構え、12名体制による新たなスタートを飾りました。いくつもの苦しい場面がありましたが、そのときどきで周りに助けられ、出版社も協力的で、社内外を問わず「人に恵まれたこと」こそが、自分のキャリアプロセスの要所にあったと感謝しています。

いよいよここからは、まっすぐに一本道を進むわけですね。

お客さんに喜んでもらえる、広告企画の面白さを満喫。

新たな仕事と顧客企業の創出のために、マンションデベロッパーに絞り活動。私たちの仕事は、新しい企画や商材の組み合わせが自由自在。つまりは自分の工夫次第で、クライアントに応じた広告企画やイベント企画のカスタマイズが、いくらでもできるのです。

例えば、某大手不動産企業様の場合、フリーペーパーの掲載だけではなく、ユーザーを募って実際の物件を見に行く、バス見学ツアーイベントを企画して告知。ファイナンシャルプランナーを招いての資産価値の高い住まい選びのセミナーと、昼食のお弁当支給とをセットにして、40名ほどの潜在・顕在購入希望者を一度に集めました。

またマンションギャラリーへの訪問営業で出会った企業様には、これまでの事例を館長さんに御覧いただき、こういう仕掛けもできますよと「シネアド」と呼ばれる、映画館で本編上映前に投影される15秒のコマーシャルを提案差し上げたところ「いいね」と意気投合。6ヶ月のCM上映で200万円強の売上を得ることができました。こうした仕事の面白さが味わえることが、モチベーションの源泉の一つですね。

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まさかまさかの第五コーナー出現?そして本社で躍動。

実は日本大通りの新オフィスに移転した3ヶ月後、本社に呼び戻されました。理由は抜擢というよりも、本社と横浜とで異なる商材提案や企画の融合を図る、営業手法のハイブリッド化が目的でした。その第一号例として選ばれたのです。
しかし自分が動くたびに何かが起こる?マスクを着けなくなって久しいですが、近年コロナ禍だったことを忘れてはいけません。当然、イベントなどのリアルを体感できる広告企画なんて一切できない。大きな痛手をくらいましたよ。

本当に何が起こるかわからない世の中ですね。

しかし、われわれの業界にも時代の変化にも柔軟に対応できる強みがたくさんあります。それは生活の中にあるのが当たり前のSNSやWebを活用したリスティング広告、ディスプレイ広告、動画CMなど。

これまで産案本社では、マスメディアからインターネットまでの活用ノウハウをしっかりと蓄積してメイン商材の一つとして扱ってきました。また前出の通り、横浜時代は広告を介して地域のクライアントとエンドユーザーの結びつけがミッションでしたが、元来本社は、多種多様な企業に対して全国規模でプロモーション提案を行ってきました。これら産案でできることの多さを武器に、創意工夫でクライアントと向き合いながら、新卒入社から16年を経てMgr職というポジションを掴みました。

現在は、営業エキスパートの一人として、採用ブランディングを軸とした新たな取り組みを行っています。そしてこれからも顧客接点を大事にしながら、広告営業の醍醐味を味わい続けていきます。

よいときも悪いときも、ブレることなく様々な方との関わりあいと仕事に対するモチベーションを持ち続けていらっしゃった鈴木さん。まさに継続は力なりを実践されてきた、キャリアプロセスだったと思います。ありがとうございました。

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